なぜ家康の墓は日光にあるのか?見どころや豆知識とは?

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なぜ家康の墓は日光にあるのか

それは 「日光が江戸の真北に当たるから」 です。

以下で詳しい理由を説明していきます。

 

日光とは?

日光、つまり日光東照宮は、500もの寺院が立ち並ぶ、山岳信仰の霊場です。

日光山信仰の始まりとなった二荒山(ふたらさん)を訓読みして「にっこうさん」になったと言われています。

 

重要視される日光の位置

日光、つまり日光東照宮は、500もの寺院が立ち並ぶ、山岳信仰の霊場です。

日光山信仰の始まりとなった二荒山(ふたらさん)を訓読みして「にっこうさん」と呼ばれるようになりました。

家康は、江戸の真北にある日光を不動の北極星に例えていました。

家康の願いはどんな時も同じ方角に輝く北極星のように日本と江戸幕府の永久的な平和を祈り、見守ることだったと伝えられています。

 

また、家康の遺言は「遺体を久能山に葬り、一周忌を迎えた後日光に墓を移動させろ」というものでした。

久能山は家康が生まれた岡崎と、隠居していた駿府の直線状にあります。

死後の家康が久能山から「不死」を意味する富士山を越えて日光に辿り着くことで、自らの存在を永遠とするという意味合いを持たせたという説もあります。

 

家康の墓が日光に移動された時点では非常に簡素でしたが、遺言を受け取った息子の秀忠が日光東照宮を建立しました。

以上が家康の墓が日光にある理由とされています。

 

 

 

家康の墓の見どころとは

徳川家康の墓は、栃木県日光市にある日光東照宮です。家康の孫の徳川家光が家康のために建てた神社であり、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

日光東照宮の見どころは以下の通りです。

 

五重塔

鳥居と表門までの通りの左手に、鮮やかな朱色の五重塔があります。

日光東照宮の五重塔は高さ36mあり、重要文化財とされています。

 

神厩舎(しんきゅうしゃ)

日光東照宮の表門をくぐり最初の広場にあるのが神厩舎です。厩舎とは馬をつないでおく場所を意味する建物です。

先に述べた五重塔よりも鮮やかな彫刻が掘られた、非常にきらびやかな厩舎です。

なかでも有名なのは「みざる」「いわざる」「きかざる」の3つの猿の彫刻です。

 

陽明門

日光東照宮は、建物や彫刻がきらびやかに彩られていますが、中でも一番豪華なのが陽明門です。門には動物や人物の彫刻が、合計508個にも渡り彫り込まれています。1日中見ていられるほどの美しさから、「ひぐらしの門」という別名もあるほどです。

 

本殿・奥の院

実際に家康の墓があるのは奥の院です。本殿にお参りをしたあと、奥の院へ参拝するのが正しいルートです。鮮やかな色どりの建物が有名な日光東照宮ですが、奥の院はゆったりとした厳かな雰囲気を味わうことができます。

 

 

 

家康の墓の豆知識とは

家康の墓は、日光東照宮とされています。家康は死後、「東照大権現」と呼ばれ信仰されました。全国の様々な東照宮は、全て家康を祀っています。

以下で家康の墓、日光東照宮にまつわる豆知識を紹介します。

 

家康のお墓の中には遺体がない

家康は、死後すぐに日光東照宮に埋葬されたわけではありません。家康は遺言をのこし、自分の遺体の扱いを細かく指定していました。

まず、逝去の直後は久能山に遺体が安置されていました。遺言では、その1年後に遺体を日光東照宮へ移動させるように、とあります。

最初は「家康の遺体が日光東照宮へ移動させられた」と考えられていましたが、遺言は明確な改葬の指示ではありませんでした。そのため、改葬ではなく分霊をしたというのが現在は有力な説になっているようです。

 

五重塔の干支

日光東照宮の見どころの一つが五重塔です。

五重塔をはじめ、日光東照宮の建物には様々な動物の彫刻があり、その多くが鮮やかに彩られているのが特徴的です。

五重塔の彫刻は、特に第一層の壁をぐるりと取り囲んだ十二支の彫刻が見ものです。

さて、一般的に十二支と言えば「子、丑、寅、卯…」ですが、五重塔の十二支は「寅、卯、辰、巳…」と寅から始まっています。

これは、家康が寅年、秀忠が卯年、家光が辰年と偶然にも干支が並んでいたため、徳川家の経緯の証として寅から始まる十二支にしたと言われています。