WHOの健康の定義の問題点や批判とは?スピリチュアルな意味って?
WHOでは、健康は病気や衰弱していない状態で体も心も社会的な面でもきちんと満たされていることを健康としています。
しかし現在では人種や国などの多様性から、WHOの健康の定義には問題点や、批判と言った面も生まれてきています。
他にも「霊的(スピリチュアル)」「動的(ダイナミック)」という新しい健康の定義についても議論が起こっているんです。
健康と言われると病気ではないことがまっさきに頭に浮かびますが、ことはそこまで簡単な内容ではありません。
それでは実際に問題点や批判にはどのようなものなのかをご紹介していきましょう。
WHOの健康の定義の問題点ってどんなもの?
WHOの健康の定義は、先程も触れたとおり、心も体も満たされており、社会的にも満たされていることでしたよね。
しかし細い面から見ていくと、様々な問題を健康の定義は抱えています。
例えば定義はあくまで抽象的であること、心を満たされることを健康としているが現実的な面での健康目標がわからないことが挙げられているんです。
また他にも健康の定義を手助けする、WHO側の活動が知られておらず、活動が普及していないこと、活動が不足していることも挙げられています。
一見問題面が見られない様な完璧な文章に見えますが、現実的に見ると、あくまで理想論になってしまっていることが多々指摘されているのも事実です。
きちんとWHOが地球上の国々の健康への問題点を受け止め、目に見えやすい肉体的な健康以外の、精神的社会的な健康への手助けも必要なのではないかということとなっています。
やはり健康感というのは国や文化でも異なる面があるため、健康という言葉にとらわれることで、根幹の問題を見失ってしまいがちです。
これらのように健康=肉体的に満たされているという部分に偏ってしまい、他の部分に対して大きな動きを起こすことができないという問題点を、WHOは抱えています。
WHOの健康の定義にはどんな批判が集まっているの?
先程の問題点から、WHOの健康普及の活動が肉体面に偏ってしまっているという点があります。
しかしながら肉体的に健康であるといえる国家は実はそこまで多いものではありません。
現実的に見れば食べることに必死で、WHOが定める健康のためにはまず基本の部分が足りない国はたくさんあります。
そのためそういった国へのケアが、生命的な部分の危険も含めると最優先事項となってしまうのも現実です。
ただ忘れてはいけないこととして、一見豊かな国であっても、精神的な健康を得ることができず、自殺や鬱などの問題を抱えていることも少なくありません。
これらの問題が後回しになっていくのは、WHOの健康の定義からかけ離れるのではないかという批判も少なくはないのです。
またWHOの健康の定義に対する矛盾を示す言葉として、オタワ憲章という憲章では、健康は毎日の暮らしの資源であって、生きるための目的ではないとしています。
つまり健康は毎日を生きていくための最低限、本人にとって十分であれば良く、生きるために健康になるという考え方とは違う、ということですね。
健康の定義というものはあまりに大きな数の国を抱えてしまったため、全ての国に対応するだけの人材や必要な資本などが足りなくなってしまっているという現実が、更にWHOの健康の定義への批判に繋がっているのです。
WHOの健康の定義のスピリチュアルって関係あるの?
WHOの健康の定義には、肉体、精神、社会という3つの要素が重要視されています。
スピリチュアルというとなんだか占いや霊的なものなど、非科学的な面を思い出してしまうため、一見関係ないように感じます。
しかし実はスピリチュアルには霊的、という意味の他にも「宗教的」という意味も含まれているんです。
当時の日本ではこの日本語の翻訳があることから、既に「精神的」の部分にスピリチュアルも含まれているとしてきました。
日本語的にはそういった扱いでは問題になっていなかったのですが、WHO本部では異なりました。
なんと言ってもWHOは地球中にある様々な国があり、国によって宗教や霊的な物の見られ方は大きく変わってくるためです。
そのため国際的にスピリチュアルという言葉を、健康の定義に含むべきかが大きな問題となりました。
結局大きな会議や話し合いの結果「国や文化によって異なる問題なので、国際的に共通の認識にするのは難しい」ということで、スピリチュアル部分を健康の定義に加えるのは採択見送りとなったのです。
確かに宗教的な意味で満たされている国は多いのですが、日本では宗教的な哲学が、毎日の生活と同化しているため、宗教感覚というものは失われていますよね。
こういった文化の違いから、国際的な面で足並みを揃えるというのは、かなり難しいということになります。
まとめ
WHOの健康の定義には、問題点や批判の他にも、国家や文化で変化してくるスピリチュアルの問題などがのしかかっています。
それだけの責任や任務を抱えている問題であることも間違いありません。
しかし国際的な機関とされていることから、最終的な目標も大きく、多様性が求められており、それに応えきれないために批判が出ているとも言えます。
一方では健康は生きるために必須とされるものではないとも言われています。
WHOだけではなく、本当の健康の意味や、生き方についてもう一度しっかりと議論しなければならないところにあるといえるでしょう。