新津油田にオイルサンドが?歴史と石油の里について!

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みなさんは過去に日本でも石油を産出していた、新潟の新津油田の事を知っていますか?

 

「原油といえば中東で採れる物でしょ?」「もしかして石油王がいたの?」なんて考えてしまいますよね

 

この新津油田、今はもう操業されていなくて、今では当時使われていた施設などを展示している「石油の里公園」になっています。

 

新津油田があった辺りには、地層からオイルサンドという油を含んだ層を見つけることができるそうですが、このオイルサンドってどんな物なのでしょうか?

 

そんな新津油田についての知らなかった!について詳しくご紹介していきましょう。

 

 

 

 

 

 

新津油田のオイルサンドって何?石油に代わる資源!

 

 

新津油田あった辺りで見つけることのできるオイルサンドとは、ヘビーオイルとも呼ばれていて、坑井(油を取るために設けた穴)で汲み上げが可能な、粘度の高い原油が含まれた砂岩層の事です。

 

油を含んだ地層の中で流動性がなくて、タールの様に高粘度なので、タールサンドと言われることもあります。

 

オイルサンドの成分はタールよりもアスファルトに近いのだそうで、なんとなく道路のアスファルト工事の際のドロドロみたいな物体を想像できそうですね。

 

オイルサンドから取り出された原油には、ビチューメン・超重質油といった種類があります。

 

世界中に存在しているオイルサンド(または油を含む頁岩:オイルシェール)から採れる重質原油は、原油の2倍以上の4兆バレルもあると言われているので、石油燃料に代わるものとして注目されています。

 

日本でも第二次世界大戦中から中国・満州で取り組んだオイルサンド採掘技術を生かし、1970年代のオイルショックの時には日本国内でオイルシェールから油を取り出すプロジェクトが行われました。

 

ただ、砂や岩の様なものから抽出して取り出すのには大変コストがかかってしまい、採算が取れないという難点があるので、商業的に発展させようという企業は現れず、日本のプロジェクトは解散してしまいました。

 

石油の代わりになるかもしれない新津油田のオイルサンドも、今は手付かずのまま残されているのです。

 

 

 

新津油田の歴史とは?実はとても長い!

 

 

新津油田の場所は、今の新潟県新潟市秋葉(あきは)区にありました。

 

「日本書紀」に、668年「越国から燃土、燃水が献上された」と記されています。

 

この滲み出てきた水(石油)のことを「草水(くそうず:臭い水)」と呼び、越後七不思議の一つとされていました。

 

越国が新津の事を指しているかわかりませんが、この一帯では江戸時代より前から表層付近に出てきた原油の採取が行われていました。

 

1874年新津の庄屋・中野家が政府に原油の採掘願を届け出て、次の年1875年から開坑を認められ、その後日本石油(ENEOS)も参入します。

 

明治時代になると産業発展に伴い原油の消費量が増え、採掘企業や採掘場が100ヶ所にまで増加しました。

 

初めは手で掘っていましたが、「上総掘り」と言って竹ひごを組んだ物を使う方法や、網掘式、日本石油が成功してから始めたロータリー式掘削などで、金津鉱場を中心に坑井は2,000以上掘削されました。

 

能代川(現・新津川)の側や、信濃川下流の関屋に製油所が多数建設されて、船で原油を運搬し、その後金津鉱区から信濃川の船着場までの区間にパイプラインが敷かれたのでした。

 

1917年に産油量が12万キロリットルに達し、産油量が日本一になりました。

 

1980年には組織的な採掘はほとんど終わってしまい、1996年に最後の井戸の採掘が終了しました。

 

2007年日本の地質百選に選ばれ、2018年には新津油田金津鉱場跡が国の史跡に指定されました。

 

新津油田は、日本の産業発展に貢献し歴史を作ってきたのですね。

 

 

 

新津油田の石油の里って?石油文化を発信!

 

 

新津油田のあった場所が1980年代から「石油の里公園」として整備され、明治時代に新津の庄屋であった中野家が石油王になって建てたお屋敷が「中野邸記念館」として残されています。

 

やはり石油王は存在していたのですね!

 

公園内にはいくつかの石油櫓(やぐら)や、ポンピングパワーという石油井戸を動かす装置など石油産業の施設が残されています。

 

石油の里公園には他にも1988年には中野邸記念館の隣に「石油の世界館」、1991年に石油ができた古代をイメージした恐竜の形の「石油の古代館」が開館しました。

 

石油の世界館は、新津油田の歴史を紹介するだけではありません。

 

この施設には友の会があって石油産業遺産の見学や学習から、近隣の里山の自然を身近に感じる地学ハイキングを行うなど、施設の事業を応援する活動を行っています。

 

2019年、石油文化を発信し続けている「石油の世界館」に対してサウジアラビアの「サウジアラムコ」という国営石油会社の日本法人から寄付を受け、2020年には開館以来壊れて使えなくなった資料映像など映像設備を新しくすることができました。

 

新津油田が産業として栄えただけでなく、その足跡を紹介し続けた姿勢が遠く離れた石油の国の人の心を動かしたのです。

 

 

 

まとめ

 

 

日本で石炭が採れるというのは聞いたことがあったのですが、石油まで採れていたとは!驚きました。

 

「石油の世界館」がリニューアルしたことによって、日本の産業発展のために新津の原油が使われていた事が、もっと多くの人に知られたらすばらしいと思います。

 

また、油田を掘り当てていくうちに温泉が出てきた場所があって、新津には市街地の普通の民家に温泉があるんです。

 

無色透明の温泉の匂いは、お湯そのものに油は含まれていないのに、強い石油臭がするのが特徴です。

 

生まれてからずっと日本に住んでいても、知らないところがあるものですね、もっと色々な場所を知りたいと思いました。