九尾の狐の元ネタとなる言い伝えは?九尾の狐退治したのはどんな人?

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日本のフィクション作品に欠かせないのが、妖怪という存在です、昔から様々な小説や漫画などに妖怪たちは根付いていますよね。

 

その中でもNARUTO幽遊白書うしおととらなどの作品に登場しているのが九尾の狐です。

 

九尾の狐の元ネタは日本…ではなく中国にあるとされており、きちんと言い伝えも残されているんです。

 

そんな九尾の狐を退治したのは日本の武将であるとされており、この伝説はきちんと当時の文献に残されているんです!

 

謎や好奇心の尽きない九尾の狐とは一体どんな存在だったのか、そしてどんな最後を遂げて伝説になったのかをご紹介していきますよ!

 

 

 

 

 

 

九尾の狐の元ネタは?大元は中国の傾国の美女

 

 

九尾の狐は九本の尾と黄金の毛を持つ狐で、大元は中国の「山海経」と言われる一番古い古文書にて紹介されています。

 

最初は普通の狐なのですが、年を経て長生きをすると徐々に尾っぽが分かれていき、千年生きることで白面金毛九尾の狐になると同時に天狐という存在として紙のような能力を得ることができるようになっていくんです。

 

当時は神聖な生き物であるとされていたのですが、人を食うその性質からなのか、ある程度時代を行った文献では妖怪として扱われるようになっています。

 

九尾の狐の伝説はこのように中国から生まれた伝説であり、封神演義などの小説では殷王朝を崩壊させた美女(妲己)が九尾の狐だという描写がされています。

 

日本の伝説もこういった中国の伝説が元となっている可能性が高く、その性格や美貌に関して中国の元ネタとかぶっている部分も非常に多いのです。

 

一部の中国の伝承では先程も触れたように神聖な生き物であり、天界から遣わされた神獣であるとも言われていたはずなのですが、一体どうして邪悪な存在になったのかはわかっていません。

 

少なくとも言えるのは中国の伝説において妲己という女性が九尾の狐であり、彼女を討伐するという物語が作られているということだけなのです。

 

 

 

九尾の狐の言い伝えってどんな物がある?

 

 

日本における九尾の狐の言い伝えは実に様々で、有名所では玉藻の前と言われる美女に化けた九尾の狐の物語です。

 

実は中国日本の他にもアジア圏内には九尾の狐の言い伝えが数多く残されていおり、美女になって権力者に取り入るという基本の物語ができているという共通点があるというのがなかなか興味深い存在であると言えるでしょう。

 

そんなわけで日本の言い伝えについてここではご紹介しますが、九尾の狐といえば栃木や茨木の九尾の狐伝説でしょう、

 

中国や全国のアジア圏で追い返されてしまった九尾の狐は、玉藻の前として鳥羽上皇の元で働くようになり、そのまま鳥羽上皇の寵愛を受けるようになっていきます。

 

しかし玉藻の前に魅せられた鳥羽上皇はどんどん体を壊していき、玉藻の前の言いなりになっていき、困った部下たちは陰陽師に相談するのです。

 

当時の陰陽師であった安倍泰成は玉藻の前が狐であることを見抜いて、見事に正体を顕にすることに成功しました。

 

戦いで破れ息絶える前に九尾の狐は殺生石として栃木などの地域に飛び散り、今もそこには殺生石が存在し続けているというわけなのです。

 

この殺生石の近くにいると生き物は眠りについて静かに死んでいくという呪いがかけられています…と言いたいところなのですが、生き物が死んでいく理由は科学的に解明されており、地中から出ているガスが温かくてそこでまどろんでいるうちに、体がガスに蝕まれて死んでしまうという理由なんですって。

 

 

 

九尾の狐を退治したのは誰?

 

 

九尾の狐を退治したとされる人物は、実際日本の文献にいくつか残されており、鳥羽天皇の時代にいた、栃木の領主である須藤権守定信が討ち取ったとされています。

 

その折にきっかけとなった矢を放った人物候補は三浦介、上総介、須藤権守定信の3名のうちの誰かなのですが、三浦介が最有力候補であると言われています。

 

この物語は実際に栃木にある伝説として実在しており、物語の真実云々は全く別にして、九尾の狐に関する文献と、先程もご紹介した殺生石を観光地として見ることができます。

 

室町時代のお話なのですが、スポットライトが当てられた江戸時代に、九尾の狐に関する物語が歌舞伎等の脚本として取り上げられ、上映されるようになり日本全国に九尾の狐が知られるようになっていったということなんですね。

 

ちなみに現在は栃木では殺生石を観光地として設定しており、その観光地のゆるキャラとして九尾の狐が描かれていて、そのギャップに驚かされること間違いなしです。

 

このように九尾の狐は日本人の歴史の中で遥か昔から創作として伝わっている存在であり、モチーフとなった石や伝説が実際に存在していたため、現代日本にいる日本人にとってはかなり有名な外来妖怪として伝わっているのかもしれませんね。

 

 

 

まとめ

 

 

九尾の狐の元ネタは遥か昔の中国の伝説でした。

 

傾国の美女として国一の権力者に愛されるようにしむけ、暴虐の限りを尽くすというのが九尾の狐のやり方です。

 

日本の伝説では中国からやってきた玉藻の前が鳥羽上皇に使えるところから始まり、陰陽師によって姿を見破られた九尾の狐は最終的に栃木で退治されてしまうという伝説になっています。

 

その後石に身を変え、殺生石として現在の世にも九尾の狐は存在をし続けているんですね。

 

現在は他にも歌謡曲や歌舞伎の演目としても残されており、漫画や小説といったものを加えると、日本人が九尾の狐に触れる機会は非常に多く、今でも親しまれているのにはきちんと理由があることがわかります。